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大友宗麟:読書中

大友宗麟/外山幹夫/吉川弘文館

宗麟の人物メモ

  • 父から廃嫡されそうになったが、「二階崩の変」後、父が横死し、二十一歳で家督を相続。

  • 大友氏の本拠地は、府内→臼杵→府内→臼杵と変遷している。しかも、家臣は、府内や知行地に残したまま、大友氏だけ移転。140

  • 自由奔放だったらしい。花押は十種、朱印もたくさん使用。居城移転も気まぐれから?141

  • 宗麟は女好きで、家臣の妻を横取りしたという伝説(か実話か定かでない)の持ち主。

  • 宗教問題で一族がもめにもめ、宗麟は第二夫人と離婚している。

  • キリシタン大名として知られる宗麟だが、受洗したのは意外に遅く、四十九歳のとき。洗礼名はドン・フランシスコ。それまでには、禅宗の高僧を領内に招いたり、入道したりしている。

  • 受洗が遅くなった理由。1まつりごとに忙しく、隠居するまでヒマがなかった。2仏教も勉強したが、自分にはあってないなーと気づくまで、時間がかかった。以上2点は、宗麟自身の言。著者は、3家臣の反発をおそれた。4姦淫を禁じる教えを守れそうになかった。という理由もあるのでは……と言っている。190

  • 蒐集癖があり、いろいろ集めていた。博多の豪商島井宗室らと懇意になり、欲しい物があればねだっていた。214

  • 貿易には関心が高かった。ま、当然ちゃ当然。

  • 嫡男義統に家督を譲った後も、政治を補佐していた。宗麟は、三男の方がかわいかったようだが、自分の家督相続にともない、苦い思いをしているので、ちゃんと義統に後を継がせている。だが、義統は、宗麟ほどの器でなかった。偉大な父と、凡庸な息子。よくある図。

  • 権威を尊重する。肩書きには弱い?






  • 宗麟の奔放な性格が伺えますねー
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    2009-08-25(Tue)
     
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