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風林火山第37回 母の遺言

武田家のなかでは一番の良識派だった大井夫人がお亡くなりになった。勘助とは初対面だったとは驚き。
女性問題や跡継ぎ問題の火種がくすぶっている晴信周辺。死期間際まで苦労が絶えなかったお方だった。

でも、今回、自分の中で一番のヒットだったのは氏康。
後北条家5代のうち、早雲、氏綱、氏康までの三代は有能な人だったらしい。氏康の子の氏政や、孫の氏直は、そうでもなかったそうだ。池波正太郎氏は、「真田太平記」で、氏政・氏直父子をコテンパン(死語?)に書いている。

1 氏康の義
上杉憲政は、長野業政の進言に従い、長尾景虎を頼って越後へ落ち延びた。
自分は逃げたのに、息子の竜若丸は、妻鹿田の言うがまま上州に残す。それが妻鹿田のねらいだったとは気づかず。景虎の言うように、なぜ、自分が残って、息子を逃がさなかったか(だって、嫡子より、我が身がかわいいんだもん)。

竜若丸を手みやげに(ひどい言い方だ)、北条に寝返った妻鹿田。
義を重んじる氏康が、妻鹿田を許すはずがない。召し抱えるかどうか、そんな次元の問題ではない。
敵の嫡子の竜若丸始め、妻鹿田一味を殺すことが、当時の常識的な選択だったのだろう。
なにも、子どもを殺さなくてもと思うけど。
妻鹿田の小悪党っぷりとは違い、竜若丸は潔かった。命乞いさえせず、氏康に斬りかかる。この子、父親より武士らしい。
竜若丸と同じ年頃の新九郎は、恐れをなしていたようだ。
氏康は、竜若丸の武勇をたたえ、二心を持つ妻鹿田を成敗することで、新九郎に義を教える。
やっぱりちょっと怖い。

2 義といえば
越後のあのお方。
景虎も義が好きだった。
義が好きな者同士、氏康と景虎は気が合いそうなものなのに、戦うのかー。
一番不義理なのは晴信か!?
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2007-09-25(Tue)
 
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