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葉隠:鍋島光茂

さむき夜にはだかになりて寝たならば明くる朝はこごえ死ぬべし 聞書第五2(p31)





まるで中学生が詠んだような歌である。(失礼






詠んだのは佐嘉鍋島藩二代藩主・鍋島光茂公。
光茂14歳のころの歌だから、中学生の歌というのもあながち間違いではない。
ふだん厚着だった光茂が、危急の時には厚着していては対処できなかろうと、ある極寒の夜薄綿と小袖ひとつで縁側に寝て風邪もひかなかった(「初期の鍋島佐賀藩」p156)ということがあった。得意になって歌を詠んだ大名家のおぼっちゃんが目に浮かぶようだ。

光茂の祖父・勝茂、曾祖父・直茂が数々の戦を経験した武人であったのに対し、如睦の世に生まれた光茂は和歌好きだった。14のころの光茂は、次代藩主としての文武の鍛錬を怠り和歌にうつつをぬかしていたので、勝茂はカチンときたらしい。
このころの光茂には奇行が多かったので、佐嘉藩主の後継問題でもめたが、無事藩主となった。が、江戸育ちの光茂が国に帰ると、武篇一辺倒の家臣に反発された。

と、こんな光茂だが、彼の文治政治は高く評価されている。

光茂は、幕府に先駆けて、追腹を禁じた。
だから、「葉隠」の語り手山本定朝は、追腹できずに出家した。
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2009-11-03(Tue)
 
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