信長の親衛隊〜戦国覇者の多彩な人材/谷口克広/中公新書サクッと読めました。信長家臣団について新たな視点も示されていて、信長ファンには楽しめました。
信長が若かりし頃、「大うつけ」と呼ばれていたことや、おりこうさんの弟・信勝が謀反したこと、桶狭間で今川義元を討ち取ったことはよく知られている(学校で習うから常識かも)。
信長の若い頃って、古い家臣達から侮られていたのだろうなー。
従わない重臣達。秀俊、信広、信勝と、次々に兄弟から謀反を起こされる。
ひょっとして、信長、嫌われていたか?
信長は役立たずの重臣達は頼みとせず、自分の意のままに動かせる親衛隊を自ら訓練したそうだ。
信勝謀反の「稲生の戦い」では、林兄弟、柴田勝家は信長に敵対している。林美作守七百、柴田一千に対し、信長の軍は七百。重臣達に動員をかければ、もっと兵が集まったはずだと著者は書いている。しかし、佐久間、平手、青山らは傍観した。そこで、信長は自分が育成した親衛隊を率いて戦ったのだそうだ。よく訓練された馬廻衆、下人までも戦闘に加わるという士気の高さ。その上、信長が陣頭で指揮をとるからな。少数精鋭の部隊だったわけだ。対今川戦でも、親衛隊が大活躍した。
信長親衛隊は、本能寺の変の際、京入りしていたのに、本能寺には詰めてなかったという。何人かは、本能寺や、信忠の元にかけつけて、殉死したそうだ。
信長の近臣は、旗本と吏僚に分けられるそうだ。旗本には馬廻衆と小姓衆、吏僚には右筆、同朋衆、奉行衆がある。(p19)
信長の直属の部隊として戦ったのが馬廻衆。
だから、本書には、信長家臣団の中の有名人である羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀らは出てこない。羽柴や明智らは方面軍の司令官、丹羽らは遊撃軍の司令官と位置づけられているからだ。彼らのことは「信長軍の司令官」(谷口克広/中公新書)に書かれている。
森成利(乱丸)や、もと小姓の前田利家は出てくるけどね。
- 2007/05/05(土) 23:59:50|
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