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戦国時代

射英雄伝DVD鑑賞記録というページを作ってみました。
山椒のこつぶっこ金庸射英雄伝DVD鑑賞記録

愚鈍で純朴な主人公の郭靖がいい味出しています。

児童書の読書はお休み中ですが、戦国時代調べは続いています。豪村や百姓についても、少しずつ分かってきました。

ひとつの歴史事象について、いくつもの説があります(当然と言えば当然のことですけど)。だから、何冊かの本を読んでみないと、どの説が正しいのか、分からないわけです。

その1 「戦後大名の権力は非常に強くて、領民から搾取していた」というのは間違いらしい。
当時の村は、ひとつの政治団体だったそうです。戦国大名も村との契約なくしては成り立たなかったとか。だから、搾取なんかやっていると、戦後大名が危うくなっていくそうです。

その2 戦国時代は餓死者が多かったらしい
江戸時代に「享保の大飢饉」「天明の大飢饉」「天保の大飢饉」などの飢饉があったことは、中学・高校で習いましたけど(^^; 戦国時代も飢饉がひどかったそうです。1月から5月までの食糧の端境期に餓死者数が増大したそうです。
戦国時代に戦争が多かったのは、「飢えから逃れるために戦争をした」ことが、理由のひとつになっているそうです。
つまり、口減らしのための徴集であったり、軍隊に入ると、食糧が配給してもらえるからだったり。そして、半農の兵が戦場に赴いた(たぶん)最大の理由は敵国からの略奪だったそうです。
だから、戦国の世を終わらせ、平和を築くのは非常に困難なことだったそうです。

「戦国大名の危機管理」/黒田基樹/吉川弘文館
「雑兵たちの戦場」/藤木久志/朝日選書
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2006-08-22(Tue)
 

覆される「常識」

最近、戦国時代関連の本を読んでいます。

私の読書傾向として、一定期間、自分で決めたテーマに沿って関係図書を数冊読みます。ひとりの作家の作品を数冊読むとか、ある歴史事象について書かれた本を読むとか。
それで、今は戦国時代というわけです。

信長と、百姓の日常が書かれた本を数冊読了しました。
読んでいて、「ちょっと待て!!」と、声を大にして叫びたかったことがいくつかありました。

その1
「桶狭間の戦い」は、奇襲じゃなかったらしい。
貴族かぶれの今川義元が、桶狭間という谷で休んでいたところ、迂回して進軍した信長に攻め込まれた--というのが、今までの私の「常識」でした。
しかし、桶狭間は山で、今川軍は山の上にいて、織田軍は攻め上らなければならず、奇襲にはならないという説があるそうです。
迂回進軍もしていないということです。

その2
墨俣の一夜城は、建設されなかったらしい。
秀吉がつくったとされる墨俣の一夜城は歴史上の事実と思っていました。(一夜というのは誇張表現だろうとは思っていましたが)
ところが、一夜城の根拠とされる文献は、フィクションばかりだそうです。江戸時代の物語を資料としてもねぇ…

その3
信長は大阪城を造りたかったらしい。
もし、信長が本能寺の変で死ななかったら、大阪に城を造ったのは信長かもしれないという説があるそうです。
壮麗(だっただろう)な安土城で、信長の城移転は終わりかと思っていました。
石山本願寺に移転を迫ったくらいだから、ありそうな話です。

その4
信長が対立したのは、既成宗教か?
信長の比叡山焼き討ち、一向一揆との対立は有名です。既成宗教を弾圧して、キリスト教には寛大だったか、と思っていました。
しかし、信長が嫌ったのは、「一揆」というコミューンに近いあり方だったのかも、と思いました。
(「一揆」というのは、ある要望を掲げて、百姓が武装することだけを意味するのではありません。)
絶対王にたとえられる信長だから、主従の枠におさまらない組織は受け入れられなかったのかもしれません。
国一揆も弾圧してるし。

(訂正)
「一揆と戦国大名」という本によると、本願寺は「戦国大名家のような嫡子単独相続制を確立」(p291)していたそうです。コミューンというより、戦国大名と並立していた一大勢力だったようです。


ついでに、信長の軍隊は最弱だった、というのもあります。

2006-08-07(Mon)
 
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