芽むしり仔撃ち/大江健三郎/新潮社初めてこの本を読んだのは20歳前後のころ。昔から好きな作品だったけど、再読して感動した!
大江さん、うまいなあと思った(ノーベル文学賞作家に対して、なんて失礼な!)
以下、MORIの感動点をメモ。
1 隔絶された社会
舞台は太平洋戦争末期、感下院の少年たちの疎開先である山深い農村。少年たちは、三重に隔絶されている。
1 少年たちは、どの村でも、人びとに決して受け入れられない。このことは、冒頭の脱走、捕獲エピソードであきらか。
2 疎開先の村への交通手段は、深い谷を渡るトロッコのみ。
3 疎開先の村で疫病が流行する。村人たちは少年たちを置き去りにし、村から退去する。しかも、トロッコの軌道は封鎖されている。
2 弱者
隔絶された小さな社会に残されたのは、疎外された社会的弱者である人びと。脱走兵以外は少年と少女のみ。この社会の支配者・権力者・抑圧者はいない。もちろん保護者も指導者もいない。少年たちは、疫病と死への恐怖、不安を感じているが、反面、自由を享受し、自分たちの社会を維持していこうとする。彼らには、連帯感が生まれている。
3 固有名詞
この小説には、固有名詞というものがほとんどない。主人公の少年ですら、名前が書かれていないのでわからないのだ。数多くの登場人物のなかで、李という少年の姓がわかっているだけ。主人公の友人の「南」も、通称であって、実名ではない。まるで、少年たちの人格や個性を否定するかのように、名前がないのだ。他にも、疎開先の村の名前、猛威を振るう疫病の名前もわからない。
4 構成
「芽むしり仔撃ち」は、大江氏が23歳のころの作品だ。若かったのにすごい!
不要なエピソードはひとつもなく、伏線は周到にはられて、きちんと後に生かされている。小説構成の破綻がない。主人公の言動に違和感を感じることもなかった。解説者の平野謙氏は、本小説の非現実性を指摘している。しかし、MORIにとっては、非現実的な設定など無問題。大江氏が構築した世界を堪能した(^-^)
5 弟
罪を犯してはいないのに、親の都合で感下院に入れられた主人公の弟。無垢なもの、幸福の象徴のように、くったくがなく、無邪気で、明るい。
5 村人の帰還と少年
小説終盤で、少年は、たいせつに守ってきたものの全てを失う。弟は行方不明、恋人は疫病にかかって死ぬ。悲しみと、疫病への恐怖で打ちのめされた少年に、さらに悲劇がおそう。
村人の突然の帰還と、理不尽な要求。村人に従えば、少年が感じた自己の尊厳も、死の重みも、連帯意識も否定してしまうことになる。
この小説の結末ははっきりと書かれていない。しかし、村長のせりふ「いいか、お前のような奴は、子どもの自分に締めころしたほうがいいんだ。出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむしりとってしまう」が、少年のその後を暗示する。
かなりグロテスクな描写もある。
- 2007/07/26(木) 23:59:31|
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真田太平記1/池波正太郎/天魔の夏/新潮文庫1575年、高遠城攻めから物語は始まる。長篠の戦いの7年後である。
高遠城は落ち、武田氏は滅亡にむかっていく。
天目山の勝頼最後の戦いは、もの悲しい。
大河ドラマ「風林火山」では、信玄が日の出の勢いなのに、「真田太平記」では、1巻から武田氏滅亡だよ。。(真田家の話だから、アタリマエだけどね)無常だ。
名門武田家、名将信玄、最強騎馬軍団、大国甲斐。信玄のことは、信長も家康も恐れたのに、息子の代で滅亡…
武田氏に仕えていた真田家は、時流に翻弄されながらも、小勢力である自国を守ろうとする。
真田家の主君、真田昌幸は有能だが人情家。長男源三郎は沈着冷静、次男源二郎は人なつこく、奔放。
真田家には、主家に忠実な忍がいた。お江もそのひとりである。
高遠城で信忠の軍と戦い、九死に一生を得た向井佐平次と、佐平次を助けたお江の視点で物語は進む。
佐平次は源二郎に仕えることになり、お江は時代の動勢をさぐる。佐平次は真田の忍頭、壺谷又五郎と関わりがあるらしいこと、お江には、宿敵がいることもわかってくる。
1巻の終盤には本能寺の変がおこり、時代は動いていく。
「風林火山」に登場した山本勘助、武田信玄、真田幸隆、真田信綱も名前だけ出てくる。全員、鬼籍。
女忍のお江がチャーミングだ。男なみの戦闘能力。
真田家の父子は、情に篤くていい人そう。
- 2007/03/24(土) 23:26:46|
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「国盗り物語」1〜4/司馬遼太郎/新潮社
全4巻読了しました。
1,2巻は斎藤道三篇、3,4巻は織田信長篇です。
道三篇と信長篇では、作品から受ける印象が全く違いました。
道三篇は、活気に満ちて明るい感じ。道三が、明るくエネルギッシュな人物として描かれているからかもしれません。また、道三を取り巻く女性たちが、物語に華を添えています。(しかし、女性たちの扱われようには、辛いものがありましたが;)
信長篇は峻烈な感じ。主人公は信長ですが、彼は言葉が足りない(自分の信条や行動について説明をしない)人物であるため、光秀の視点で物語が進行していきます。司馬氏の光秀像は、温厚で篤実、伝統を尊ぶ常識人、真面目で小心で陰気であるため、物語のトーンが暗めです。
こんな光秀だったら、そりゃあもう、とことん信長と性格が合わなかったことでしょう。
信長篇に登場する主な女性は濃姫と光秀の妻のお槙くらいで、それもわずかなページ数です。女性があまり登場しないことと、比叡山焼き討ちのような虐殺場面があることも、道三篇のような華やかさが感じられない理由なのかも。
「国盗り物語」は、昭和30年代に「サンデー毎日」に連載されました。
物語中、道三は油屋から美濃の国主になったと設定されています。しかし、油屋だったのは道三の父であり、父子二代にわたる国盗りが史実だそうです。
信長篇に書かれている墨俣の一夜城、長篠の戦いでの三千挺の鉄砲の一斉射撃についても、疑問視する説が多いです。
司馬氏は執筆される際に、膨大な文献にあたり、取材をされる方です。しかし、年月がたつうちに、歴史上の新発見があったり、新解釈が出てきたりするもんだ〜と思いました。
- 2006/09/09(土) 22:06:54|
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